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出生地 松ヶ嶺城 生没年 1528年生〜1602年8月9日没 官途 讃岐守 父 岡本正重 母 不詳 正室 不詳 側室 不詳 法号 千秋院松巌梅屋居士 正親の前半生については、資料が少なく不明な点が多い。 ただ、岡本家は、正親の祖父重親の代より、 代々の塩谷家の重臣であり、 正親の姉が、主君塩谷義孝に嫁いで 長子伊勢松丸(義通)を生んでおり、 正親も、塩谷家家臣団の中で、 筆頭にも値する実力者であったものと思われる。 しかし、義孝の死後、後継者争いで正親は、 母が宇都宮家の姫(養女)である義綱(弥六郎)ではなく、 母が自分の姉である義通を推したと思われ、 その結果、塩谷家の家督を継いだ義綱と折り合いが悪くなり、 1580年〜1583年頃、隠居と言う形で、 実質的に追放されたと考えられる。 塩谷家を追放された正親は、皆川家に仕えるが、 1584年5月7日、佐野沼尻の戦いで2子を失い、 大中寺で出家して梅屋と称する。 その後、2子の菩提を弔うために高野山に向かい、 京都で秀吉と面会し、その後ろ盾で塩谷家家臣に復帰する。 そして、1590年、正親は、小田原に参陣して、 秀吉より約3800石の領土を安堵され、塩谷家から独立を果たす。 その後、岡本家は、徳川家の旗本となり、 1591年2月、居城を泉城に移し、6年をかけて改築。 また、城下町も整備し、2子のための菩提寺として、 泉城の東側空堀に鏡山寺を創建する。 1600年の関が原の戦いでは、東軍として、 大田原城で会津の上杉景勝に対陣する任につき家名を残す。 しかし、1597年には、家督を娘の子義保に譲り隠居。 1602年8月9日、荒井の隠居屋敷にて没する。 |
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