豊城実澄のブログ

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help リーダーに追加 RSS 岡本正親

<<   作成日時 : 2006/08/31 01:12   >>

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出生地 松ヶ嶺城
生没年 1528年生〜1602年8月9日没
官途 讃岐守
父 岡本正重
母 不詳
正室 不詳
側室 不詳
法号 千秋院松巌梅屋居士

正親の前半生については、資料が少なく不明な点が多い。
ただ、岡本家は、正親の祖父重親の代より、
代々の塩谷家の重臣であり、
正親の姉が、主君塩谷義孝に嫁いで
長子伊勢松丸(義通)を生んでおり、
正親も、塩谷家家臣団の中で、
筆頭にも値する実力者であったものと思われる。
しかし、義孝の死後、後継者争いで正親は、
母が宇都宮家の姫(養女)である義綱(弥六郎)ではなく、
母が自分の姉である義通を推したと思われ、
その結果、塩谷家の家督を継いだ義綱と折り合いが悪くなり、
1580年〜1583年頃、隠居と言う形で、
実質的に追放されたと考えられる。
塩谷家を追放された正親は、皆川家に仕えるが、
1584年5月7日、佐野沼尻の戦いで2子を失い、
大中寺で出家して梅屋と称する。
その後、2子の菩提を弔うために高野山に向かい、
京都で秀吉と面会し、その後ろ盾で塩谷家家臣に復帰する。

そして、1590年、正親は、小田原に参陣して、
秀吉より約3800石の領土を安堵され、塩谷家から独立を果たす。
その後、岡本家は、徳川家の旗本となり、
1591年2月、居城を泉城に移し、6年をかけて改築。
また、城下町も整備し、2子のための菩提寺として、
泉城の東側空堀に鏡山寺を創建する。
1600年の関が原の戦いでは、東軍として、
大田原城で会津の上杉景勝に対陣する任につき家名を残す。
しかし、1597年には、家督を娘の子義保に譲り隠居。
1602年8月9日、荒井の隠居屋敷にて没する。

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